東三河検定Higashimikawa Certification

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はずれ

Q1
戦国時代に男の名で井伊家の家督を継ぎ、優れた政治手腕を発揮して戦乱の世を生き抜いた、三遠南信地域にゆかりのある女性は?
  • 井伊直政
答えは ②井伊直虎 です。
直虎は遠州井伊谷(静岡県浜松市北区)の領主井伊直盛のひとり娘として生まれました。
直盛のいとこ亀之丞を婿として迎える予定でしたが、謀反の疑いにより亀之丞は信州に身を隠すこととなりました。その消息を知らない直虎は龍潭寺で出家し、次郎法師と名乗りました。後に亀之丞は井伊谷に帰郷しますが、出家した直虎との婚姻は叶いませんでした。亀之丞は直盛の養子として直親と名乗り、家臣の娘を妻に迎えました。
桶狭間の戦いで父直盛が戦死し、家督を継いだ直親も今川氏の家臣により討ち取られると、次郎法師から直虎と名を改め井伊谷城の城主となり、優れた政治手腕を発揮しました。
しかし、井伊領の実権が小野但馬守に移ると、直虎は直親の子、虎松(後の直政)と共に命を狙われる立場となってしまいました。

命を狙われた直虎と虎松は、城を出て龍潭寺に身を寄せました。しかし、龍潭寺にも危険が及んでいることを察した直虎は、南渓和尚の進言もあり虎松を鳳来寺に預けることを決意しました。
鳳来寺は、古くから「殺生禁断の地」として知られており、平安末期には源頼朝が3年間匿われた場所でもあります。こうして8歳から14歳まで鳳来寺で過ごした虎松は、寺の僧侶達によって武将として必要な教養を学びました。

15歳になった虎松は、徳川家康に仕官し万千代と名を改めました。武田討伐の戦いで頭角を現し、直政と名を改め、徳川家では異例の出世を遂げます。勇猛で知られた武田武士団を「井伊の赤備え」として従え、徳川四天王のひとりとして活躍しました。関ヶ原の戦いでの功績を認められた直政は、家康から佐和山城18万石を拝領し、彦根藩の基礎を築きました。井伊家は江戸幕府譜代として栄え、幕末には大老井伊直弼を輩出します。

※出典:一般社団法人奥三河観光協議会「キラッと奥三河観光ナビ」

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