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東三河のキラリ人

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被災地から受け継いだひまわりを全国へ広める「奇跡のひまわりプロジェクト」 代表 紙谷充昭さん

新城市 その他

 今回は、新城市で花店「こおらん」を営む傍ら、「奇跡のひまわりプロジェクト」の代表として震災復興のシンボル「奇跡のひまわり」を各地で咲かせている紙谷充昭さんにお話を伺いました。

「奇跡のひまわりプロジェクト」の名前の由来と、プロジェクトをはじめたきっかけを教えてください。

紙谷
 「奇跡のひまわり」は、阪神淡路大震災で亡くなった少女が見つかった場所に咲いたひまわりから始まっています。その種が復興のシンボルとして東日本大震災の被災地にも送られて咲き、「釜石の奇跡」※1と「奇跡の一本松」※2にちなんで「奇跡のひまわり」と呼ばれるようになりました。
 その後、東日本大震災の被災地でボランティアをしていた新城市出身のカメラマンが釜石東中学校からその種を託され、母校千郷中学校に持ち帰りましたが、中学校ではひまわり栽培のノウハウがなく、広めることができず困っていました。その時私に相談があり、ちょうど「花育」で花を使って子ども達と何かやれることはないかと探していたこともあり、引き受けることにしました。

※1釜石の奇跡:津波からの避難訓練を8年間重ねてきた岩手県釜石市内の小中学校の全生徒計約3千人が東日本大震災の際に即座に避難し、99・8%の生徒が生き残ったことを指しそのように言われる。
※2奇跡の一本松:岩手県陸前高田市の高田松原にあった約7万本の松の木は、東日本大震災の津浪でほとんどが押し流されてしまったが、その中で津波に耐え、立ったままの状態で残った1本の木のこと。(現在はモニュメント)

「奇跡のひまわりプロジェクト」を始めたのはいつからですか?具体的にどのような活動をしていますか。

紙谷
 2016年にこのプロジェクトを立ち上げてから、防災の日(9月1日)に合わせて市役所や県庁などに育てたひまわりを飾らせてもらっています。また、今年度は、豊田スタジアムで行われたラグビーの国際試合の際にスタジアムに飾らせていただきました。
 復興のシンボルである「奇跡のひまわり」を飾ることで、防災意識を高めるきっかけになればいいなと思っています。

プロジェクトを進めるにあたり大変なことはありますか。

紙谷
 プロジェクトの活動を拡大していくには国や県、市、JAなど大きな組織に協力してもらう必要がありますが、大きな組織は簡単には動いてくれません。そこで小さな実績をコツコツ積み重ねていき、大きな組織が動かざるを得ないところまで持っていくことは大変ですが、やりがいがあります。
 愛知県農協青年組織協議会主催の青年の主張に参加したのもそのためであり、「奇跡のひまわり」の活動を発表し、結果として最優秀賞を取ることが出来ました。

実績を積み上げていくのは大変なことだと思いますが、紙谷さんのモチベーションはなんですか。

紙谷
 ずばり、好奇心です。私は人よりも好奇心が強いのだと思います。「今石を投げたらどんな波紋が広がるのだろう」と考えると石を投げずにはいられない性格なのです。
 東京で花の修業を終えてから地元新城市に帰ってきた当初は、特におもしろいこともなかったので、自分で事を起こすしかないなと思って、花育やこのプロジェクトに携わってきました。
 「新城市を盛り上げたい」とかそんなおこがましい考えではなくて、「楽しそうだからやってみよう」と思ってやった結果がこの「奇跡のひまわりプロジェクト」の活動になっています。

このプロジェクトは子ども達と一緒に行っていますが、心掛けていることなどはありますか。

紙谷
 年代にあった関わり方ができるようにすることや子ども達の主体性を大事にするということを心掛けています。
 小学生は単純に楽しむ、中学生はそれに加えて成果を出して自信をつける、高校生はその成果を発信できるようにする、というように小学生から高校生までの間で、達成する目標を分けて考えています。
 「奇跡のひまわりプロジェクト」を通じて、子ども達が卒業後に「ひまわりをやってきました」と自信をもって話せるように成功体験をさせてあげたいと思っていますが、あくまで子どもに「やらせる」のではなく、子ども達の本音を聞き、子ども達が挑戦したいことを全力でバックアップするというやり方を心掛けています。
 このように子ども達が主体性をもって動いているので、先日TVで活動の様子を取材された際にも子ども達がきらきらして映りましたし、しっかり考えて受け答えができる子ども達の様子に、取材された方も大変驚いていました。
 私はプロジェクトを行う上で、私がいなくなったら続かなくなってしまうのではなく、子ども達だけでもちゃんと上手く回るような仕組みを作ることが大切だと考え、その土台を作ってきました。
 そんな子ども達が社会に出て挫折やいろんな経験をして、もしよかったら一緒に活動してくれたらいいなと思っています。

「奇跡のひまわりプロジェクト」の今後の展望を聞かせてください。

紙谷
 2019年ラグビーのワールドカップが日本各地で開催されますが、その試合会場としてこの地域では豊田スタジアムが予定されており、また東日本大震災の被災地では、釜石東中学校の跡地に建てられた釜石鵜住居(うのすまい)復興スタジアムが予定されています。ひまわりを託された中学校の跡地でラグビーワールドカップが行われるという事実を知り、是非その会場とこの地域の開催地である豊田スタジアムでひまわりを飾りたいと考え現在交渉を進めています。今年度豊田スタジアムで行われたラグビーの国際試合の際にスタジアムにひまわりを飾らせてもらったのもワールドカップを見据えた実績を作るためでした。
 そして2020年の東京オリンピック・パラリンピックの際には全国の小中学校にひまわりを咲かせたいと考えています。東京オリンピックの組織委員会はレガシーを残すため5本の柱を掲げておりそのうちの1つが「復興・オールジャパン・世界への発信」です。全国の小中学校でオリンピック期間中に「奇跡のひまわり」を咲かすことはまさにこのレガシーにかなった取り組みではないかと考えています。
 これらの実績を重ね、将来は新城市で「奇跡のひまわり」のブランドを観光資源にできたらなと考えています。一緒に活動している高校のブランドとして発信するのもいいですし、空き地をひまわりでいっぱいにするのもいいですね。



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 紙谷さんの先を見据えた行動力と力強さに大変驚かされた取材となりました。何かをやり遂げようと思ったら、そのためにどう準備をすべきか見極めて手を尽くしていくことは、とても重要なことだと思います。
 これから全国各地で「奇跡のひまわり」が咲き誇っていくのがとても楽しみです。


奇跡のひまわりプロジェクトin新城 フェイスブック
https://www.facebook.com/kisekinohimawari.shinshiro/

取材日:平成30年9月6日
取材者:名古屋大学 西村美祝

※記載内容は取材当時のものです。

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