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東三河のキラリ人

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花祭りと歩んだ七十年「花祭会館館長」 伊藤勝文さん

東栄町 学術部門

北設楽郡東栄町の古戸地区にお住まいの伊藤勝文さんを訪問しました。
伊藤さんは、平成七年に定年退職されるまで、愛知県立田口高等学校林業科の教師として技術指導に携わってこられました。
また、退職の年の三月から、林野庁主催の林業研修ということで、カナダ・アメリカに半年間滞在されました。
退職後は花祭会館の館長として再就職されましたが、篠笛作りの技術を見込まれ、地元の東栄中学校の講師として総合の時間(体験学習の時間)に、篠笛作りから笛の吹き方まで指導されています。
花祭りに欠かせない篠笛を自分たちで作り、それを吹くことを体験することによって、それまで花祭りに縁遠かった本郷地区の中学生たちも興味を持ち、祭りを見に行くようになったそうです。

花祭会館の館長としては、県外へ花祭りの公演に行くだけでなく、他の地域や国外で新たに始める花祭りの指導・開催を行うなど地域・国を越えて尽力されています。

きっかけはみかん?

今はどこでも花祭りの会場には公民館のような集会所を利用していますが、昔はそれぞれの家が『花宿』を持ち回りでやっていて、五才のときにちょうど隣の家が花宿になりました。
実を言うと最初は舞を舞うと貰えるみかんが楽しみで参加していました。
当時みかんは貴重品。滅多に食べられなかったんです。
ご褒美を貰うのが楽しみだった幼少期を過ぎると競争心も芽生えて、役を割振ってもらいたいために上手な人の動きを見て真似したりしました。

最近まで女人禁制だったと聞きましたが。

そうです。
最初は女人禁制でした。
しかし、今では女性は欠かせない存在になっています。
やはり女性がいた方が華やかでいいですよ。(笑)
昔は、花祭りは厳粛な儀式の印象と共に地域の者が行うという閉鎖的な傾向がかなり強かったと思います。
しかし、地域の情勢が変わり、担い手も少なくなるのと同時に高齢化も進みました。
このままでは衰退する一方です。
時代の流れに応じて形態も変化してきたからこそ、現在まで途切れることなく花祭りは続いてきたのではないかと考えています。

地域を越えた輪へ

今は口コミや報道で県内だけでなく県外からも見物に来られます。
実際に舞を舞う人も地域の人だけでなく、県内、県外から参加される方にお願いすることがあります。
これも変化の一部です。
舞う人も見ている人も立場は同じです。
花祭りは見ている人、舞う人分け隔てなく同じように楽しむことが出来ます。
これも魅力の一つなんです。
学生さんの参加も多いのですが、中には花祭りをテーマとした卒業論文を書かれる方もいます。
祭りそのものを取り上げる方、参加者の地域別割合や男女比、舞の音楽の違いに注目される方もいますね。
完成した論文を送って頂くことも多いのですが、本当に様々な角度から見ているのだと感心します。
私がよく参加される方に言うのは、花祭りは一つの地区だけでなく色々な地区に参加して違いを感じて欲しい点と、一年だけ、また一度や二度では花祭りの魅力は十分にわからない、二、三年は来て下さいということなんです。
そうして下さった方にはもう何もする必要がないんです。

はまってしまうということですね。

そうですね、私のように(笑)
それぐらい通うと友達が出来たり、誘いの声もかかるようになります。
後はずっと来て下さるんですね。
花祭りを体験された方がまた地元に戻って広めてくれます。
そうすると興味を持ってまた新しい方が来て下さる。
地域を越えた交流の輪が広がっていくことは、とても喜ばしいことだと思います。

出典

「キラッと奥三河 ―人・物・文化・企業―」
No.2  花祭りと歩んだ七十年 伊藤勝文さん
訪問日 平成22年1月22日
訪問者 新城設楽山村振興事務所 環境保全課 石川、伊藤

※記載内容は取材当時のものです。

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